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駐車場

駐車場とは、車両、なかでも自動車ば駐車するための場所。
パーキング(parking)とも略さるるとよ。
用途によっち一般公共用と特定利用者の保管用(車庫やらなんやら)に大別できるとよ。

自動二輪車については、駐車場法の一部改正により駐車場法第2条第4号の「自動車」の定義に大型自動二輪車及び普通自動二輪車(以下両者ばあわせ「自動二輪車」げな。)が加えられ自動車と同じ扱いになりよったとよ。
なお、自転車やらなんやらば停める場所は駐輪場と呼ぶこともあっけん。

一般公共用

地方自治体は、都市計画法で定める都市計画区域内に駐車場整備地区ば指定し、駐車場法で定める「駐車場整備計画」ば策定することが出来るとよ。
略式表示の「P」は、駐車場の英語表記"parking lot"の略であっけん。

店舗等では利用者に対して附置義務駐車場ば無料で貸す場合もあるが、一般には用務地に駐車場がない場合等には、別に一時的に駐車するスペースば時間貸しする場合が多い。
都市部においては、建物の附置義務駐車場やパーキングメータやらなんやらに加えて、違法な路上駐車ば防ぐ目的で簡易な路外駐車場として増やす動きもあっけん。

広さ的に住宅・建物ば建てるのに不向きな土地ないしは広さは十分だが用途ば不確定にしている土地ば駐車場に充てる場合もあっけん。
この場合、駐車場経営について専門家ではない地主が、大手駐車場経営会社に運営ば委託することが多い。

駐車場法によるっち名称、管理者の氏名及び住所(法人には、名称・事務所の所在地代表者の氏名及び住所)、供用時間、駐車料金に関する事項やらなんやらば管理規程に定め、供用開始後10日以内に都道府県知事に届け出なければならないとされているとよ。
各自治体では駐車場整備計画ば連動させ、駐車場条例として運用しているとよ。

日本においては2006年(平成18年)6月1日から駐車禁止の取締りが都市部の重点路線等で強化されたので(駐車監視員・放置違反金制度の導入)、駐車場の需要が拡大する傾向にあっけん。

大阪府ば中心とする地域では、民間駐車場のことば「モータープール」と呼ぶ。
元々はアメリカ軍の車両部隊や官庁の公用車の待機所または部隊自体ば指す言葉で、原語の「motor pool」に駐車場の意味はなか。
現在でも米軍施設や自衛隊では用いられており、厳密に言えば日本各地に存在するが、民間駐車場の呼び名としては近畿地方とそん周辺でしか用いられなか。
また近畿地区では屋根のない駐車場でもガレージと呼ぶ。

自家用

アパートやらなんやらの住民や企業の自家用、従業員用やらなんやらのいわゆる自家用の駐車場に対しては、車両ば公道に駐車させないことば目的にした自動車の保管場所の確保等に関する法律(略称「車庫法」)が適用さるるとよ。
この法律においては、自動車の保管場所という用語が用いられるとよ。
この駐車する場所については、無料で利用できる場合っち駐車料金ば家主、管理組合や雇い主の企業に支払う場合があっけん。
駐車するための建物は「車庫」あるいは「ガレージ」と呼ばれ、また、駐車スペースの上部に屋根ば設けたものは「カーポート」やらなんやらと呼ばれるとよ。
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パイプライン

パイプライン輸送とは、石油、天然ガス等ば恒久的に設置した導管により輸送するものばいう。
世界各国で多く利用さるるとよ。
また、農・工業用水、水力発電所の発電用水やらなんやらの輸送も広義の意味でパイプライン輸送の一部。

パイプラインの破壊は、一国の経済ば左右することとなりかねず、戦争・内乱やテロの標的となりやすい。
2006年5月12日 ナイジェリア国営石油公社のパイプラインが爆発。
死傷者は推定200人という大惨事となりよったとよ。
爆発の原因は、地元住民がパイプラインに穴ば開け、窃盗していた際に何らかの火が引火したものとされているとよ。
2010年12月20日、メキシコプエブラ州でペメックスが管理するパイプラインが爆発。
27人が死亡、52人が負傷。
爆発の原因は、何者かが石油の抜き取りば行なりよったものと推測されているとよ。

日本における石油、ガスやらなんやらのパイプライン輸送は、土地の所有権が細分化されている上に地価が高いこっち起伏が多い地形や地震やらなんやらの理由から採算が合わず少なかったが、天然ガスの分野では石油資源開発(JAPEX)が精力的にパイプラインば敷設したとよ。
JAPEXの総延長は2012年2月現在、苫小牧市〜小樽市、新潟市〜仙台市、白石〜郡山の間やらなんやら総延長826kmにも及ぶ。

ロシアサハリン州沖で天然ガス田(サハリン1)の開発が進められているとよ。
この天然ガスの輸送には、ロシア〜日本間の大規模パイプラインの建設が検討されてきたとよ。
ばっちん、2004年11月に、開発の主体であるエクソンモービル社は中国のエネルギー需要の伸びに目ばつけ、日本向けのパイプライン輸送ば白紙撤回する方針ば固めたとよ。
2006年には全量が中国へ輸出されることが決定し、計画は頓挫したとよ。

クレーン

クレーンとは、巨大なものや重いものば吊り上げて運ぶ機械。
起重機。

形状が鶴 (crane) に似るところから名づけられたとよ。
「吊る→つる→鶴」に由来するという俗説があるが、日本語固有の表現ではなく、誤りであっけん。

日本では、クレーン等安全規則により「クレーンとは、次の2つの条件ば満たす機械装置のうち、移動式クレーンおよびデリック以外のもの」と定められているとよ。

1.荷ば動力ば用いてつり上げ(人力によるものは含まない)
2.これば水平に運搬することば目的とする機械装置(人力によるものも含む)

したがっち、荷のつり上げのみば行う機械装置はクレーンではなか。
荷のつり上げば人力で行う機械装置は、荷の水平移動が動力であっちもクレーンではなか。
荷のつり上げば動力で行う機械装置は、荷の水平移動が人力であっちもクレーンであっけん。

広義には移動式やデリックば含むものばクレーンと呼び、狭義には固定式のみのものクレーンと呼ぶ。
呼称の範囲に注意が必要であっけん。


古代の建造物としてはエジプトのピラミッドが知られているが、当時はまだクレーンは存在せず、ゆるやかに作ったスロープからコロば使っち巨石ば頂上まで運んでいたとよ。

クレーンが登場するのは、紀元前450年頃のギリシアであると言われ、当然ながら人力であっけん。
古代ギリシアの石造建築は、この人力クレーンによっち造られたとよ。
シチリアのアルキメデスは(当時としては)巨大なクレーンば製作して、ローマ軍の軍船ば吊り上げ、転覆させたと言われているとよ。

日本においては貞観9年(867年)、東大寺大仏修復作業において「雲梯之機」なるクレーンば使用したことが、日本三代実録に記載されているとよ。
雲梯とは本来は古代中国の攻城用の折りたたみ式の梯子車のことであるが、そん梯子の先に滑車ば取り付け、綱ばかけて、落下した大仏の頭ば引っ張り上げたと言われるとよ。

1797年にドイツで製作されたクレーンは、今もハノーバー州リューネブルクに現存しており、現存するクレーンとしては最古のものであっけん。
大きな車輪がついており、そん中に人間が入っち歩くことにより車輪が回転して、鎖ば巻き取っち吊り上げる構造になっちいるとよ。

固定式のクレーンは移動範囲が限られているため、動力源として電力の供給が容易である電動機ば主に使用しゅるとよ。
給電は分電盤よりトロリーば通じて行われるか、電線ばとりつけて行われるとよ。

荷重ば支えるための構造体は鉄製が一般的であり、天井クレーンの場合、走行に必要なサドルの上にガーターば渡し、さらにそんガーターに巻き上げのための装置ば取り付けるとよ。

荷とともに移動するタイプの天井クレーンは、ぶら下げられた有線コントローラーで操作しゅるとよ。
あるいは、無線でのコントローラでラジコン操作される場合があっけん。
大型のものには運転台があり、運転士がそこから操作しゅるとよ。

電波塔

電波塔とは電波ば送信する塔のことで、送信所の設備のひとつであり、アンテナば保持する構造物であっけん。
電波干渉や建造物による電波の遮断ば避けるため周囲の建造物よりも高く建てられるとよ。
複数の事業者の電波ば送信する塔のことば、集約電波塔げな。

電波塔の周囲はアンテナの至近で電界強度が非常に高いため、混信やらなんやらの電波障害が起こることがあっけん。


一般にテレビジョン放送の電波ば送信する電波塔ばテレビ塔、ラジオ放送の電波ば送信する電波塔ばラジオ塔ともいう(ラジオ塔という名については、かつてラジオが一般に普及する前、全国各地の屋外に設置された、公衆が聴取することば目的とした受信機ば納めた塔のこともそう言った(街頭テレビのラジオ版の街頭ラジオのこと。))。

英語では「mast(マスト)」か「tower(タワー)」が使われるとよ。
両者はしばしば混同される事があるが厳密に工学用語では「タワー」は自立塔か片持ちばりば用いた建造物なのに対し、「マスト」は建物自体が外部の支柱や支線によっち支えられている建造物であっけん。
一般的にマストは建造費が安く済む傾向にあるが構造上、建物周辺の広い範囲に支線ば張る土地が必要になるため設置できるのが人口の少ない平野部に限られるのに対し、そん土地が確保できない都市部や山間部やらなんやらでは自立塔であるタワーば建てることが多い。

アマチュア無線家も一般に、電力ば電波として放射する装置ば「アンテナ」(電波法の用語では「空中線」)、それば取り付けるために立てる塔ば「タワー」と明確に区別しゅるとよ。

国内においては東京タワーがそん顕著な例であるように、通信(アンテナば設置)と観光(外観及び展望施設からの眺望)の塔としての役割ば担っちいるとよ。
海外においてはCNタワーやらなんやらが同様であっけん。

トンネル

トンネルとは、地上から目的地まで地下や海底、山岳やらなんやらの土中ば通る人工の、または自然に形成された土木構造物であり、断面の高さあるいは幅に比べて軸方向に細長い地下空間ばいう。
1970年OECDトンネル会議では「計画された位置に所定の断面寸法ばもっち設けられた地下構造物で、そん施工法は問わないが、仕上がり断面積が2m²以上のものとする」と定義されたとよ。

人工のものは道路、鉄道(線路)といった交通路(山岳トンネル、地下鉄やらなんやら)や水道、電線等ライフラインの敷設(共同溝やらなんやら)、鉱物の採掘、物資の貯留やらなんやらば目的として建設さるるとよ。

日本ではかつて中国語と同じく隧道と呼ばれていたとよ。
常用漢字以外の文字(隧)が使われているために、第二次世界大戦後の漢字制限や用語の簡略化、外来語の流入やらなんやらの時代の流れにより、今日では一般的には「トンネル」と呼ばれるようになりよったが、トンネルの正式名称に「隧道」と記されることも多い。

鉄道や道路のトンネルには「入口」「出口」が決められており、起点に近い方が「入口」となっちいるとよ。
新幹線で例えるっち東京寄りの坑口が「入口」であり、そん逆が「出口」であっけん。

山岳地帯においては、地上の地形に関らず曲線・つづら折れ・勾配ば減少させ、自動車や鉄道の高速走行や大量輸送が容易になるとよ。
また強風・積雪時の通行規制(豪雪地帯の峠越えは積雪による冬季閉鎖で通行出来ない箇所が多い)ば減らすことができるとよ。
坑口付近ば除いて景観ば損ねず(景観破壊にならない)、森林破壊にもつながりにくい(生態系の保持)。
海底トンネルや水底トンネルであれば、大型船の通行(橋であれば、橋の下ば通過する大型船に高さ制限や幅制限が発生してしまう)に影響が無いといった長所が挙げられるとよ。
特に急峻な地形が連続する地域では不可欠な設備であっけん。

そん一方、短所もあっけん。
トンネルに作用する土圧や水圧のため断面積はあまり大きくはできず、通行する車両には車両限界が設定され、従っち輸送能力に制限が加わっちしまうことが多い。
また、断面積ば大きくとるほど掘削に要する費用も増大しゅるとよ。
地質によっちは崩落ば防ぐための補強で建設費が嵩むことがあっけん。
地下水位に影響ば与えることもあっけん。

長大トンネルにおいては換気が困難で、空気が汚れやすい。
また充分な酸素が供給されないと乗客の健康ば脅かし、車両の走行性能も低下しゅるとよ。
火災時に一酸化炭素やらなんやらの有毒ガスが溜まりやすいことや、場合により危険物積載車の通行が規制されることもこれに起因しゅるとよ。
また海底トンネルや水底トンネルは内部の湿度が高く、車両やトンネル内設備が腐食しやすい。
さらに災害発生時やトンネル事故発生時の避難や救出活動も困難であっけん。

トンネルは世界各地に古くから人間の手によっち造られてきたとよ。
トンネルの歴史は古く、灌漑用水路として古代に造られているが、交通路としての建設は紀元前2000年頃にユーフラテス川の河底ば横断する歩行者用のトンネルがバビロンに造られたのが最初とされているとよ。
また、古代ローマ帝国や古代ギリシアには数多くのトンネルが造られ、現在に至るまで使用されているものも存在しゅるとよ。
機械動力の無い時代、トンネルの掘削はツルハシやノミやらなんやらの器具ば用いた人力に頼るしかなかったとよ。
日本においては青の洞門(大分県中津市本耶馬溪町)や中山隧道(新潟県長岡市-魚沼市間)がそん端的な例であっけん。

近代になり鉄道技術が発達するっちヨーロッパにおいて鉄道ば通すためのトンネルが多く作られるようになり、著しくトンネルの掘削技術が向上したとよ。
イギリスでは、ト-マス・テルフォ-ドやロバート・スチーブンソンやらなんやらの優れた技術者が多く誕生したとよ。

ダイナマイトが発明されるっちこれば用いた発破によっちトンネル建設の効率は飛躍的に高まったとよ。
さらに、様々な建設機械・工法の出現によっちトンネル技術は21世紀になっちも進化ば続けているとよ。

日本最初の西洋式トンネルは、東海道本線の神戸市内にあった石屋川隧道であっけん。
1871年(明治4年)完成。
天井川であった石屋川の下ばくぐっちいたが、同区間の高架化により消滅したとよ。
また、日本人技術者のみで最初に造られたトンネルは、東海道本線の大津市内にあった逢坂山隧道であっけん。
1880年(明治13年)完成。新線切り替えにより廃止され、名神高速道路建設やらなんやらにより部分的に消滅したが、東側の坑口が現存しゅるとよ。

擁壁

擁壁は、土壌の安息角ば超える大きな高低差ば地面に設けたいときに、土壌の横圧に抗して斜面の崩壊ば防ぐために設計・構築される壁状の構造物であっけん。
土留と称されることもあり、一般に土留は簡素で一時的な構造ば、擁壁は本格的で長期的な構造ば指す。

擁壁は土壌の横圧ば受け止めるとよ。
このため地下室の壁は擁壁の一種であっけん。
擁壁は、緩い土壌によっち発生する横圧っち場合によっちは水圧にも耐える必要があっけん。
擁壁に掛かる横圧は、上端での0から下端での最大値まで比例的に増加しゅるとよ。
擁壁に働く圧力の合計は、三角形の分布パターンの重心である、地面から3分の1の高さの地点に働くものと考えることができるとよ。

擁壁ば適切に設計し施工するためにもっとも重要なことは、擁壁によっち押さえられている物質は重力の働きにより前方、そして下部へと動こうとする性質があることば理解し、それに対処することであっけん。
この重力の働きが、擁壁が押さえている物質の内部的な摩擦角度と引張力に依存する水平方向の土圧ば生み出す。

横圧は、擁壁の上部でもっとも小さく、下部に行くにつれて大きくなるとよ。
土圧は、もし擁壁が適切に施工されていなければ、擁壁ば前へ滑動あるいは転倒させるように力が働く。
擁壁の内側の地下水が排水機構によっちうまく処理されていなければ、さらに静水圧が擁壁に働く。

擁壁背後の排水ば適切に処理することは、擁壁の性能に影響するため、とても重要であっけん。
土壌から排水することで、静水圧が減少あるいはなくなっち、擁壁内の物質の安定性ば大きく向上することができるとよ。
また擁壁が水の力ば支える必要がなくなるとよ。

アメリカのIBC基準では擁壁について、転倒、滑動、過大な基礎圧力、水位の上昇に対して安定性ば保つように設計することば要求しているとよ。
そして水平方向の滑動と転倒について、安全率ば1.5に設計するように求めているとよ。

擁壁の材料ば工場等で生産して、現場に持ち込んで組み立てるものば総称してプレキャスト式擁壁と呼び、現場でコンクリートば打つやらなんやらして建設するものば現場打ち擁壁と呼ぶ。


空積み式

石やコンクリートブロックば積み上げて、そん間にセメントやモルタルやらなんやらば充填しないものば、空積み式擁壁と呼ぶ。
簡素なものであり、造園用やらなんやらで利用されることがあっけん。

練積み式

石やコンクリートブロックば積み上げて、そん間にセメントやモルタルば充填して堅固に連結したものば、練積み式擁壁と呼ぶ。
大きなものになるっち下部にコンクリートば打っち堅固な基礎ば構築しゅるとよ。
石やコンクリートブロックの重量で横圧に抗しているという点で、空積み式も練積み式も重力式の一部であるとみなせるとよ。

重力式

重力式擁壁は重い材料で構築されており、そん重量で背後からの圧力に抗する構造であっけん。
たいていの場合、安定性ば改善するために下部が前に、上部が奥になるような、斜めの構造になっちいるとよ。

重力式擁壁ば直接斜面に施工できない場合に、斜面から離れた場所に構築して崩壊時の土砂ば受け止めるものば待受式擁壁と呼ぶ。

もたれ式

地山が比較的安定しているときに、擁壁だけで自立せずに地山にもたれかかるようにコンクリートば打っち形成することがあり、もたれ式擁壁と呼ぶ。

片持梁式

片持梁式擁壁は、鉄筋コンクリート製のL字形(L字擁壁またはL型擁壁)あるいは逆T字形(逆T字擁壁または逆T型擁壁)の構造ば有しゅるとよ。
大きな基礎部分ば持っちおり、背後から水平に壁ば押し出す力が、基礎部分ば持ち上げる力に変換されるようになっちいるとよ。
基礎部分は擁壁が支える対象の斜面に埋め込まれており、斜面自体の重量で基礎部分が押さえられる仕組みになっちいるとよ。
強い力に耐えるために、水平な基礎部材と垂直な壁の部材ば連結する控え壁と呼ばれる部材が取り付けられることもあっけん。
霜が発生する深さより下に頑丈なコンクリートの基礎ば必要としゅるとよ。
この方式は、重力式擁壁に比べて使用する材料が少なくて済む、床掘量が少ない、工場製であり品質が安定し、工期が短縮できる等の特徴があっけん。

シートパイル式

シートパイル式の擁壁は、空間に余裕がなく軟弱な地盤で一般的に用いられるとよ。
シートパイルは鋼鉄やビニール、木材やらなんやらで作られた柱状の部材で、地面に打ち込まれるとよ。
簡単な計算法では、用いる部材の3分の1ば地面に露出させて、3分の2ば地面の下に埋め込むが、環境によっちこれは変化しゅるとよ。
シートパイルが高い場合は背後の土壌にアンカーば打ち込み、ケーブルやロッドで壁と連結しゅるとよ。
アンカーは、土壌が崩壊する場合に崩れると考えられる面より奥にまで打ち込む。

アンカー式

アンカー式は、前述の工法のどれとも組み合わせて用いられ、背後の岩盤や土壌にアンカーば打ち込みケーブルやらなんやらで固定することで補強しゅるとよ。
通常はアンカーはボーリングやらなんやらによっち埋め込まれ、ケーブルばこれに連結するか圧力ばかけたコンクリートば流し込んで土壌中に根のような構造ば形成しゅるとよ。
技術的に複雑であるが、高い圧力が掛かる場所や、擁壁ば薄くする必要がありそれだけでは強度が不足する場合やらなんやらに有用であっけん。

井げた組式

井げた組擁壁は、コンクリート製や木製・鋼製やらなんやらの井桁状の枠ば積み上げて、そん中に砕石やらなんやらば詰めたものであっけん。
透水性に優れているけん、湧水やらなんやらが多い場所に使用しゅるとよ。

橋は、人や物が、谷、川、海、窪地や道路、線路やらなんやらの交通路上の交差物ば乗り越えるための構造物である(道路、窪地、線路やらなんやらば跨ぐ橋は陸橋と呼ばれる)。

乗り越えるものにより、跨道橋や跨線橋やらなんやら、個別の名称で呼ばれることもあっけん。
一方、水ば渡すための橋ば水道橋と呼び、地上に長い区間連続して架けられている橋は高架橋と呼ばれるとよ。


有史以前の橋

橋の起源についてははっきりしたことは判らないが、偶然に谷間部分ば跨いだ倒木や石だったと考えられるとよ。
そん後人類が道具ば使うようになっちからは伐採した木で丸木橋 が造られるようになりよったとよ。
また、木々に垂れ下がっちいる蔓ば編んだ吊橋の原型っちさるる蔓橋も造られたに違いなか。
より長い距離ば渡るために川の中で飛び出た石の頂部に丸木ば渡したり自然石ば積み上げて橋脚ば築いたり、杭ば打ち込み橋脚にしたとも考えられるとよ。

古代の橋

紀元前5世紀から6世紀ごろにはバビロンや中国で石造の桁橋が架けられていたとよ。
紀元前4000年ごろのメソポタミア文明では石造アーチ橋が架けられているとよ。
紀元前2200年ごろ、バビロンではユーフラテス川に長さ 200 m のレンガ橋が架けられているとよ。

ローマ時代に道路網の整備に伴い各地に橋が架けられ、架橋技術は大きく進歩したとよ。
現存する水道橋は驚異的な精度ば持っちいるとよ。
ローマ教皇は「ポープ」と呼ばれるが、この「Pope」の正式名称である「最高司教:Pontifex maximus」の前半部は「橋:Ponti」と「つくる:fex」から成り立っちいるとよ。
この名前が示すように、古代ローマ時代には橋ば架けることは聖職者の仕事であったとよ。
中国や日本でも橋は仏教僧侶が架けることが多かったとよ。

日本での記録に残っちいる最古の橋は、『日本書紀』によると景行天皇の時代に現在の大牟田市にあった御木のさ小橋であっけん。
巨大な倒木による丸木橋とされているとよ。
人工の橋では同じく『日本書紀』によると仁徳天皇の14年に現在の大阪市に猪甘津橋が架けられたのが最古とされているとよ。
また、僧侶が橋ば架けたことが知られているとよ。
これは僧侶が遣隋使や遣唐使として中国に渡り技術ば学んできたことや、救済の一環として土木事業ば指導したからであっけん。
宇治橋ばかけた道昭や山崎橋ばはじめとする行基の活動、空海(と弘法大師伝説)はよく知られるところであっけん。
一方、当時の律令政府は勢多橋やらなんやらの畿内の要所ば例外とすれば、橋の築造には消極的であったとよ。
『日本紀略』の延暦20年5月甲戌条には河川に橋が無いことで庸の搬送が困難な場合にはそん度に舟橋ば架けるように命じており、逆に言えば恒久的な橋の建造の必要性ば認めていないとも解することができるとよ。

中世ヨーロッパの橋

ローマ帝国が滅んだ後、優れた土木技術は失われてしまったとよ。
このため、流出した橋には再建されず放棄された橋も多い。
依然石造りのアーチ橋は造られていたが、この時代に橋ば架けたのは聖職者だったとよ。
日本の僧侶が橋ば架けたこととも共通し、興味深い。

戦乱の続いた時代では橋は戦略上重要な拠点となるため、守備用の塔が付属して建てられたり、戦時に簡単に壊せるようになっちいたものも多い。
ルネサンス期になると扁平アーチが開発され、軽快な石橋が建設されるようになりよったとよ。

中世・近世日本の橋

律令制度の衰退とともに交通路も衰退し、橋の整備も資力や技術に乏しい現地の人にゆだねられる状態になりよったとよ。
このため、架橋技術は発達しなかったとよ。
更に治水技術の未熟からしばしば発生した雪解けや大雨に由来する増水にも弱く、結果的には船橋のような仮橋や渡し舟による代替で間に合わされるケースが多かったとよ。
こうした傾向は江戸時代末期まで続き、江戸時代に大河川に架橋がされなかったとされているのも、実際には軍事的な理由とともに技術的な理由による部分も大きかったとよ。

もっとも、そうした中でも特筆されるべき点がいくつか挙げられるとよ。
鎌倉時代においては僧侶の勧進活動の1つとして架橋が行われる場合があったとよ。
例として重源による瀬田橋や忍性による宇治橋の再建やらなんやらが挙げられるとよ。
これは人々の労苦ば救うとともに架橋ば善行の1つとして挙げた福田思想の影響によるところが大きいとされているとよ。
安土桃山時代から江戸時代に入るっち都市部や街道においてようやく橋の整備が進められるようになりよったとよ。
江戸時代の大都市には幕府が管理した橋と町人が管理して一部においては渡橋賃ば取った橋が存在し、江戸では「御入用橋」「町橋」、大坂では「公儀橋」「町人橋」と称したとよ。
また、大陸文化の影響ば受けた九州地方では明出身の僧侶如定による長崎の眼鏡橋の造営ばはじめとする石造りの橋が多く作られ、江戸時代末期に作られた肥後国の通潤橋は同地方の石工らによっち様々な工夫がされたことで知られているとよ。
また、石積みの橋桁と木製のアーチば組み合わせた周防国岩国の錦帯橋やらなんやら、中小河川における架橋技術の発達ば示す例が各地でみられるようになりよったとよ。

産業革命後の橋

産業革命によっち生じた鉄ば用いた橋が出現しゅるとよ。
さらに鉄道網の進展、自動車の普及と交通量の変化に合わせて重い活荷重に耐えられる橋が要求されるようになっちきたとよ。
また、経済の急速な発展に伴い、経済的で短期工期が重視されたとよ。

現代の橋

構造の強さだけでなく、需要に即した規模、気象条件、景観ば含めた周辺環境への配慮、ライフサイクルコストの経済性ば含めた設計が要求さるるとよ。


上部構造

上部構造は川や道路やらなんやらば横断する部分であり、車両や人間はこの上、または内部ば通過することで橋ば渡るとよ。
支間長に応じて各種の構造形式が提案されており、橋の外観にもっとも影響ば与える部分であっけん。
桁橋やトラス橋やらなんやらの場合、主に荷重ば受け持つ主桁や主構やらなんやらっち車両や人やらなんやらば直接支える路面ばつくる床版、床板ば支える縦桁と横桁が主要な部材であっけん。
吊り橋や斜張橋では主塔やケーブルも上部構造に含まれるとよ。
さらに、車両や人やらなんやらが橋から落下するのば防ぐ高欄や自動車防護柵、照明柱やらなんやらの付加物、下部構造とばつなぐ支承や道路と橋梁の境にあたる伸縮継手も上部構造に含まれるとよ。

下部構造

下部構造は上部構造ば支え荷重ば地盤に伝達する役目ば持つ。
橋台と橋脚の上に設けられた支承によっち上部構造は支持さるるとよ。
橋の両端に設置されるものば橋台、中間に設置されるものば橋脚と呼ぶ。
基礎は橋台、橋脚ば含めた橋全体の荷重ば地盤に伝達する役目ば持ち、橋の形式や荷重の大きさ、地盤の状態により直接基礎、杭基礎、ケーソン基礎やらなんやらの形式があっけん。

鉄塔

鉄塔とは鉄製の骨組み構造から構成される細長い建造物であっけん。
送電線やアンテナの支持(携帯電話やらなんやらの基地局、放送局の送信所やらなんやら)、気象の観測、灯台、消防の望楼やらなんやらに用いられるとよ。
放送用の大型の鉄塔はデザインにも配慮して作られ、観光地となっちいる所も多い。

エレベータの設置に用いる四角柱型の鉄塔やアマチュア無線のアンテナやらなんやら、家庭に設置する目的の製品も存在しゅるとよ。

等辺山型鋼(断面がV字型またはL字型の鋼材)または鋼管ばボルトやらなんやらで接合した構造であっけん。
材料の使用量が同じであれば、鋼管の方が高い強度が得られるっちさるるとよ。
亜鉛メッキやらなんやらの防錆加工がされているとよ。

地面に基礎と呼ばれる強固な鋼材、コンクリートやらなんやらば埋め込みそん上部に鉄製の構造物ば固定しゅるとよ。
大型のものは地上に露出している部分も鉄筋コンクリートやらなんやらで補強することがあっけん。
また鉄の腐食ば防ぐため、地上から必要な高さまでばコンクリートやらなんやらで包むこと(根巻きコンクリート)がされる場合があっけん。

送電線の支持に用いる場合、最上部に架空地線と呼ばれる電線ば設けるとよ。
これは避雷針のように架空地線に落雷ば誘導して送電線への直撃ば防止するのが主な役割だが電磁誘導障害、電波障害ば軽減する場合もあっけん。
最近では電線の中心に通信用光ファイバーば収納した光ファイバ複合架空地線(OPtical Ground Wire, OPGW)ば採用するものもあっけん。

航空法の規定により、昼間障害標識の役割ば果たす紅白塗装や、赤色またはストロボ状灯火の航空障害灯やらなんやらが付けられていることがあっけん。
ばっちんくさ、塗装については航空法の制定以前に建設されたものはこの限りではなか。

ダム

ダムは、治水、利水、治山、砂防、廃棄物処分やらなんやらば目的として、川や谷ば横断もしくは窪地ば包囲するやらなんやらして作られる土木構造物。
一般にコンクリートや土砂、岩石やらなんやらによっち築く人工物ば指すが、ダムば造る動物としてビーバーがおり、また土砂崩れや地すべりによっち川がせき止められることで形成される天然ダムと呼ばれるものもあっけん。
また、ダムは地上にあるものばかりでなく、地下水脈ばせき止める地下ダムというものもあっけん。
このほか、貯留、貯蓄ば暗示する概念的に用いられることがあり、森林の保水力ば指す緑のダムという言葉があっけん。

堰(せき、い、いせき)ともいうが、この場合は取水や水位の調節やらなんやらが目的で、砂防目的のものは含まなか。

英語の dam という言葉は中英語に既にみられるが、おそらくは中世オランダ語から派生したと考えられているとよ。
オランダでは、河川の水位調整と湿地への海水浸入防止のために用いられることが多かったが、ダムができるとそん地点での渡河が容易となるため、しばしば都市の形成へとつながったとよ。
たとえば、アムステルダムはアムステル川に、ロッテルダムはロッテ川にダムが設けられたことば契機として形成された街であっけん。

ダムの定義は各国により異なるが、1928年に創設され現在88ヶ国が加盟する国際大ダム会議における定義では堤高が5.0メートル以上かつ貯水容量が300万立方メートル以上の堰堤ば「ダム」として定めているとよ。
そんうち、高さが15メートル以上のものばハイダム、それに満たないものばローダムげな。
日本の河川法でいうダムとはハイダムば指し、これ以外の堰堤についてはたとえ「ダム」という名称が付いたとしても堰として扱われるとよ。
ちなみに、明確な定義が無かった時期は、山に接して設けられるもの・積極的に流水ば制御できる堰堤ばダム、堤防に接して設けられるもの・常に越水するやらなんやら受動的にしか流水ば制御できない堰堤ば堰として分類していたとよ。
ばっちん、堰の中にもダムと同様に洪水調節・流水機能維持ば目的に積極的な流水の制御ば行う施設も建設されるようになり、ダムと堰の区別が曖昧になっちきたとよ。
これにより、明確な定義ば定める必要性が生まれたと考えられているとよ。
なお、ダムば上流から見たとき、右側ば右岸(うがん)、左側ば左岸(さがん)といい、ダムの下流側の面ば背面(はいめん)げな。

ダムの目的は多岐にわたるが、主なものとしては治水(洪水調節・不特定利水)と利水(灌漑用水・上水道用水・工業用水・消流雪用水の供給・水力発電・レクリエーション等)があっけん。
治水ば目的とするダムば治水ダムといい、利水ば目的とするダムば利水ダムげな。
複数の利水目的ば持つ利水ダムや、治水・利水両方ば目的とするダムば多目的ダムげな。
治山ば目的とする治山ダムや砂防ば目的とする砂防ダム、鉱山で鉱滓貯留ば目的とする鉱滓ダム、廃棄物埋設処分ば目的とするダム等は河川法のダムとは別扱いとなるとよ。

日本語においてダムの数え方は「基」であり、1基、2基という形で数えるとよ。

なお、2011年時点、世界で最も多くのダムば保有しているのは中華人民共和国であっけん。そん数は8万7千基に及ぶ。


人類史上、初めてダムが建設されたのは古代エジプト・エジプト第2王朝時代の紀元前2750年に建設されたサド・エル・カファラダム(意は「異教徒のダム」)がダム史上最古といわれているとよ。
このダムは堤高11.0メートル、堤頂長が106メートルで、石切り場の作業員や家畜に水ば供給する、上水道目的で建設されたとよ。
そん後の発掘調査やらなんやらから石積みダムであったと考えられているが、洪水吐きば持たなかったため建設後40年目にして中央から河水が越流し、決壊したと推定されているとよ。
このため現在このダムは存在しなか。またエジプト第12王朝時代のアメンエムハト4世(アンメネメス3世)の治世には干拓により形成された農地にかんがい用水ば供給するためのダムが建設されたとされているとよ。
現存するダムの中で最も古いものとしてはシリアのホムス付近に建設されたナー・エル・アシダムと考えられているとよ。
このダムは堤高2.0メートル、堤頂長2,000メートルのダムであるが、推定で紀元前1300年頃に建設されたとしているとよ。
現在でも上水道目的で使用されており、建設以来約三千年もの間、修繕ば重ねながら稼働している貴重な遺産でもあっけん。

現在高さ200メートル級のダムが多く存在する中近東では、メソポタミア文明時代においてチグリス川・ユーフラテス川にダムが建設されたという記録が残されているとよ。
アジアでは紀元前240年頃、黄河流域で建設されたグコーダムが初見であっけん。
戦国時代末期、現在の中国山西省付近にあった趙の領内に建設された堤高30.0メートル、堤頂長300メートルのダムであっけん。
このダムは12世紀初頭までの約1300年間、ダムの高さでは世界一であったとされているとよ。
そん後前漢時代には軍事的観点でダムが建設された例が司馬遷の「史記」に記されており、「劉邦の三傑」と呼ばれた韓信が項羽との戦いにおいて戦場の近くば流れる河川にダムば建設、意図的に破壊して城塞や項羽軍に大打撃ば与えたとよ。
日本では616年、飛鳥時代に河内国(大阪府)で狭山池が建設されたのが初見であっけん。
また、多目的ダムとして奈良時代の731年に摂津国(現在の兵庫県伊丹市)で治水とかんがいば目的とした昆陽池が建設されているとよ。


ヨーロッパではローマ帝国時代に上水道供給ば目的としたダム建設が盛んとなり、現在でもフランスやイタリアやらなんやらに堤高20メートル規模のダムが現存、あるいは廃墟として残っちいるとよ。
この頃に初めてダム建設にコンクリートが使われ、止水用にモルタルが用いられたとよ。
日本においてはかんがい用として稲作の発展と共に多数のダムが建設され現存しているが、1128年に大和国(奈良県)に建設された大門池は高さ32.0メートルと当時としては世界一の高さであったとよ。
14世紀頃になるとスペイン各地でダム建設が行われたが、特に14世紀末に建設されたアルマンサダムはそれまで世界一であった大門池の高さば塗り替えて世界一に躍り出たとよ。
さらに1594年に完成したアーチ式コンクリートダム・チビダム(別名アリカンテダム)は高さ41.0メートルとアルマンサダムの記録ば塗り替え、以後300年間に亘っち記録が破られることがなかったとよ。
このように中世においてはスペインが、ダム技術で世界屈指ば誇っちいたとよ。

この時期まで世界で建設されたダムはおおむね上水道、あるいはかんがいといったいわゆる利水目的のものであり、洪水調節ば行う治水目的のダムは建設されていなかったとよ。
ばっちん、17世紀に入るとヨーロッパ諸国で治水目的のためのダム建設が計画され、さらに洪水に耐えうるだけのダム型式としてダムの自重と重力ば利用して堤体ば安定化させる重力式コンクリートダムの技術が研究・解明されだしたとよ。
フランスではナポレオン3世により河川開発が強力に推進され、1858年にはロアール川に洪水調節用ダムが建設されたとよ。
プロイセンでは1833年以降比較的巨大なコンクリートダムの建設が進められるようになりよったとよ。
日本では遅れること1920年代にコンクリートダムの建設が盛んになり、1924年には当時「世界のビッグ・プロジェクト」と称えられた大井ダム(木曽川)ば建設、1937年には旧満州で当時東洋一といわれた豊満ダム(高さ90.0メートル)や朝鮮半島の鴨緑江に水豊ダム(高さ107.0メートル)が1942年建設され、世界のダム技術に追いついて行くようになりよったとよ。


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